親の想い Tula A Baxter

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エデュケータ誌への2回目の寄稿になりました。前回のコラムには多数の反響をいただき,どうもありがとうございました。

 

今号のテーマは「インクルーシブ教育」です。障害を持った子どもたちの保護者の中には,特殊教育学校が自分の子どもへの最良の教育手段であると考える方がいたり,逆に,特殊教育学校は(教育問題の)解決どころかそれ自体が問題なのだと考える方もいます。また別の保護者の方は,自分の子どもはインクルージョンがすすまない普通学校からの難民であると感じています。私がお話しした保護者の中には「,インテグレート」されてはいるがインクルードされてはいない,といわれる方がいました。私はその方に「インクルージョンって何だとお考えですか? どういうことがなされるべきだとお思いですか?」と尋ねてみました。個々のなされるべきことを述べる前に,まずはユネスコ総会で採択された特別支援教育に関するサラマンカ宣言:質の高い特別支援教育とそれへのアクセス:を見てみることにしましょう。この宣言は多くの声明からなっていますが,今号のテーマと関連するものが3つあります。

さらに各国政府への提言として次のように続きます。

1994〜2003年の約10年間で,インクルージョンは審議事項の最重要項目となりました。そこで,今号ではインクルージョンということについて,(保護者からの)その想いを掲載します。最後に,このテーマで寄稿してくださいましたLiu Guitaoさん(内モンゴル)とDorine in 't Veldさん(オランダ)に感謝いたします。

わが村でのインクルーシブ教育
Liu Guitao

私にはJianfengという名前の全盲の子どもがいます。彼は生まれながらにして視力がありませんでしたが,私にとっては最愛の息子です。1997年,息子が7歳で,私が彼を学校に送っていったときのことでした。息子のクラスメートが数人,彼が全盲であることを揶揄するようなあだ名で呼んだり,石を投げつけたりしていました。また,たった一度でしたが,そのいじめっ子たちが帰り道に穴を掘って,息子がそこに落ちてしまうということがありました。息子はとても傷つきました。そのことがあったあと,彼は学校に行くのがイヤになってしまいました。

2000年になって,Golden Key プロジェクトが私たちが住む辺境の村にも博愛主義の精神をもたらしてくれました。その結果,村の大人たち,学校の子どもたち,先生方や校長先生を含むすべての村人たちが障害を持つ子どもに対して,それまでとは違う新しい目を持ってくれるようになりました。障害を持つ子どもたちのインクルージョンを容易にするために,まずは学校への道のりを平坦にし,障害物を取り除いてくれたのです(差別の撤廃と入学および教育支援)。

息子の担任であるHe先生は,夏休みに息子に点字を教える機会がありました。息子が学校にインテグレートされたその日,彼のためにオープニングセレモニーが開かれました。障害を持つその子どものためにボランティアグループが結成されました。またHe先生は息子への指導をより効果的なものにするため,個別の指導計画だけではなく,息子が利用可能な教育支援を提供できるようにしてくれました。さらにHe先生は,息子が歌を歌うことが好きであることに気付き,ポケットマネーで楽器を買ってくださり,先生がご自分でまず練習してからその使い方を教えてくださいました。

今では学校の往復にはクラスメートがいつも一緒についてくれています。彼らがみんなで一緒に話したり,笑ったりしているのを聞くこともできます。まわりにいる子どもたちは,息子のことを対等なひとりの仲間としてみるようになったのです。

インクルージョンは言葉だけか
 Dorine in 't Veld

私自身,インクルーシブ教育をどう感じているのでしょうか?私も他の保護者の方たちと同じく,インクルージョンを支持しています。寄宿舎生活の学校や特殊教育学校にいるより,普通学校で晴眼者や視覚障害をもついろんな仲間にかこまれて教育を受けるよりもよい方法があるでしょうか。

しかし今,中等教育においては,息子の教育に関しておおくのギャップがあることを感じています。体育でありがちなのですが,普通学校では視覚障害を補償する手段がなかなかなく,その点で,息子は教育から切り離されてしまっています。特別なことを習うでもなく,点字さえも習わないことに加えて,すべてのことがオランダ市では止まってしまっています。残念ながら,私たち親子にとって,インクルージョンはまったくうまくいっていないのです。

息子は今,自分の通うインクルーシブ学校で,(インクルーシブ学校であるにもかかわらず)“開講されていない”科目を勉強したいと思っています。さらに不都合なことに,オランダ市では特殊教育学校でも視覚障害の生徒にはこの科目は開講されていないのです。ここにはAランクをあげられる特殊教育学校はないのです。

学資が準備できて通学できるならという条件で,息子の能力を満足させられる専門学校がイギリスにあることを見つけました。息子はそこのアセスメントを受け,入学許可を得ました。私は,6週間ものあいだ,息子を自宅から出すことに気乗りはしていません。しかし,彼に適切な教育を受けさせることを否定していませんので,彼をそこに行かせるための学資準備にいま格闘しているところです。

息子本人はというと「今のところは,どれだけ遠いところであろうと,特殊教育学校に行くつもりだよ。ただし,自分の選択した科目を教われるんだったらね。」といいます。彼にとって,外国語を話さなければならず,異文化の中にいることが苦痛であろうことはわかっています。でも率直にいって,私は,息子が彼と同じような興味・関心や知識を持ち,同じような境遇にある仲間とともに,そこでの環境にすぐに適応し,しあわせになるだろうと思っています。

完全なインクルージョン教育は,社会におけるインクルージョンと並行してすすめられるべきです。開講されている科目を選択するのに平等な機会が与えられるということともに,現在私たちは特別な支援を必要とする子どもたちに対して,どんな不都合なことがふりかかっているのかを十分認識し,その不都合なことを改善しようとしています。私たちはそのような子どもたちの能力をみくびっています!さらに,予算や政策(予算規模が小さい,無策であること)がそういう子どもたちのニーズをみたすことに対して障壁となってもいるので,自分自身の能力を試すことができないでいるのです。

これらの障壁は組織的な国際協力によって処理できます。ヨーロッパ諸国では,インテグレーションが原因で専門的な知識がうすくなっていることがわかります。非常に人数が少ない特定のカテゴリーに属する子どもたちについての専門的なセンターをヨーロッパ内につくり,そこが普通学校をサポートし,その分野の知見を集めたり広めたりするべきです。このことは,ヨーロッパでの広範囲にわたる多くの援助を必ずしも必要とするものではありません。一度,個人がコンタクトをとったなら,あとはWeb上での指導や指示をもちいてのインターネットやオンラインでのやりとりが非常に役立ちます。

インクルージョンが本物になるために,インクルーシブ学校は,特別な教育支援を必要とする生徒たちに対して適切なサポートができるようにし,それらの実践,方法,政策をつくりだしていくことに先導的な役割を果たすべきです。

もうひとつのポイントである“生徒の参加”を指摘し,国連・児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)を引用しておきます。“自己の見解をまとめる力のある子どもは,自分に影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を有する。”はたして,私たちは自分の子どもたちの考えや意見をきいていますか?

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