およそ雑誌の編集に当たっている人ならば誰でも、ほしい記事をほしい時間に手に入れるというのは大変な仕事だということを知っているはずだ。このことは記事が世界各地から送られ、したがって複数の言語で書かれているとなれば困難さは倍増する。そんなわけで、編集者としての私はまず、またまた締切時間ぎりぎりまで待たせ、心配をかけてしまったわれが偉大なる事務総長(エデュケータ誌の重要な任務のなかでレイアウトの作業から印刷業者との交渉までやってくれた)にお詫びすることからはじめなければならない。しかし、読者諸氏におかれても、本誌の読了後、その出来栄えは彼の睡眠不足を補って余りあるものだということにご同意いただけるものと考える。彼のサポートとそのスタッフ各位のおかげで重要な案件満載の本号ができあがったことに満腔の感謝をささげたい。
私は機関誌が有意義なものであるためにふたつの事項、すなわち明確な事実認識と洞察力にあふれた意見が必要であると考えている。本号では、ICEVIがその最重要な目的のひとつとしている「2015年を目指して視覚障害を持つ子供たちの教育機会の均等化」に対して先導している数々の計画を紹介している。これらの事実の指し示すことは明瞭である。
すなわち、ICEVIはいまや、創立以来もっとも興奮に満ち溢れた時期に向けてつきすすんでいるということである。
2015年までに教育機会均等実現という目標は、世界の子供たちが彼らの視力のゆえに通常の学校教育の場から排除されつづける限り達成し得ない。しかしこのインクルージョンという目標はいかにすれば達成できるのであろうか?われわれがかりにすべての事実関係を把握しているとしても、複雑に入り組んだ疑問が生み出すのは通常は単純な回答ではない。それが生み出すのは様々な意見である。そしてその意見のなかで、もっとも有用なものは事情をもっともよく知っている人たちのものである。幸運なことに、われわれはこのインクルージョンという複雑な疑問に関する論争に立脚通暁した意見を、世界の異なった場で、バラエティにとんだ経験をされた人々からいただくことができた。
当初から私はエデュケータ誌はこの重要な課題に対して世界規模の、偏りのない見方を、インクルージョンにかかわる組織としての精神を反映しつつ、提供するものでなければならないと感じてきた。そして私は今号はその目的に見合うものである、と言うことに喜びを感じるものである。私はこの号において、アフリカ、太平洋沿岸諸国、南アメリカさらにモンゴルからの寄稿を頂戴できたことを大変喜んでいる。ここで叙述されている意見の広がりは、教員、教員の訓練に当たる人、両親、そして視覚障害を有する人たち、におよび、しかもそれはすべてみずからの広範囲の経験に裏打ちされている。もし、これらの寄稿者の方々に共通点があるとすれば、それはその方々が実践的であるとともに慎重なアプローチをされているということだろう。彼らは異なったしくみにもとづいた、異なった解決策があること、また異なった意見解釈がありえることを認めているのである。
ご存知のとおり、私は最近、ICEVIのリサーチを立ち上げるために事務総長と同行してウガンダを訪問して帰国したところである。視覚に障害のある子供たちに教育を施すために、世界中の国々が参加するにはどうしたらいいのか、という基本的な問題にはまだ回答が得られていない。ICEVIは、世界各地からこれらの疑問に対してなんらかの回答を見出すかもしれない事実と事実に基づいた意見を収集するには、最適の巨大なネットワークである。そのプロセスには時間がかかるであろうが、それに値するものである。ここで確かなことはひとつ、回答は単純なものではない。もしそうだという人がいたらそれは信用するべからず、ということだ(私はそう思う!)。