特集記事編集者から(Susan Spungin)

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視覚障害児の教育に携わる人達にとって、インクルーシブ教育問題ほど、話題となり議論を呼ぶものはないでしょう。国によって違いはあるものの、インクルージョンとは、障害を持つ生徒も、まいにち健常者と同じ教育を通常の学校で受けるべきであるという信条にもとづいて実施されるサービス提供モデルを意味しています。ある国々では、インクルーシブ教育は、生徒のニーズに基づいて、寄宿方式の特別学校や特別学級、あるいはリソースルームなどに加えて提供される措置形態の一部として捉えられています。しかし、21世紀に入った現在、国際社会はインクルーシブ教育を既存のものの代替サービスであると考えるようになってきています。その前提となっているのは、第一に視覚障害児を支えるための技能を持つ教員、基本的なサポートシステム、さらに点字の教科書や弱視用機器などを必要なだけ投入することであります。また、インクルーシブあるいはメインストリーム教育に代わる高品質の教育を行う特殊学校を用意し、さらにこれらのインクルーシブ教育、統合教育、特殊学校のいずれの恩恵も得ることができない場合には、公式にあるいは非公式にもいろいろな形式でこれに代わる教育を行うべきであるとされています(視覚障害者教育国際会議および世界盲人連盟、視覚障害児インクルーシブ教育に関する合同調査報告書、2003年:Joint Position Paper on Inclusive Education of Children with Visually Impaired by The International Council for Education of People with Visual Impairment and The World Blind Union, April 2003)。

一部には、単に教育モデルまたはサービス提供システムを用意できるという理由だけで教育に関する決定をすべきでないという意見があります。視覚障害をもつ子供たちの個々のニーズをないがしろにして、教育措置が決定はされてはならないのです。仕組みがどのようなものであれ、目の見えない子供にふさわしい訓練を受けた人々が適切なサービスをタイムリーに提供してやれば、それらの人々が完全に差別のない社会において、うまく生活できる技能を身につけ、市民としての責任を全うするに足る人間となることができるはずです。これらの生徒が、盲目あるいは低視力という感覚的な欠陥を補う補償教育を受けるための適切な指導を与えられない場合は、重要な学習機会は失われ、将来の果実を得るポテンシャルは小さくなってしまうでしょう。点字、そろばん、定位・歩行、そして低視力であればそれに応じた光学機器の使用法などに関して、訓練を受ける機会が潤沢に用意されなければならなりません。これが差別なき社会でインクルージョンを実現するためにはどうしても必要なことなのです。

エデュケータ誌本号の特集“インクルーシブ教育を通じた恵まれない国や人への支援(Reaching the Unreached Through Inclusive Education)“では、インクルージョンがもつ複雑な課題について、何が重要なことなのかを、いろいろな観点から、異なる文化環境という文脈の中で論じております。サービスを提供するシステムのどれが良いか悪いかということではなく、ひとりひとりの子供の時間的、空間的環境とニーズとに立脚した、継続的なオプションはなにかという議論であります。

ナイジェルとストッブス両氏(Nagel&Stobbs)の報告はインクルージョンを成功させるキーエレメントについて我々すべてに示唆を与えてくれています。マリー・ヴァレラ氏(Mary Velera)は指導者教育の重要性について論じ、革新的な拡大教育制度を紹介しています。サイウリス、ブルーノ両氏(Syaulis & Bruno)は、重複障害を持つ生徒の特殊かつ複雑なニーズに対して、すべての学校システムが必要なリソースを持ち得ないという鋭い指摘をしています。またマラワイでは、巡回教育モデルで問題となる、不十分な交通・旅行手段や過大な取り扱い件数などが生徒あたり時間に及ぼす影響をとりあげています。ハットレン(Phil Hatlen)は“インクルージョンのチャンピオン”ならば視覚障害児の学校教育のリーダーになりえるはずだとして、“経験のある、もっとも優れた教師を有する特殊学校を視覚障害を持つ生徒がどの学校へ行くかにかかわらず利用できるのハブ、すなわち州、あるいは国のリソースセンタとして活用すべきである“、という提言を行っています。

インクルーシブ教育が多くの場合、恵まれない国や人への支援の可能性を持っていることは明らかであり、多くの国々では視覚障害を持つ子供たちを、ほかの教育機会から排除するのに比べてはるかに優れているといえます。しかしチューラ・バクスターの質問に対して“自分たちの子供は”インテグレートされてはいるがインクルードされていない“(訳者注:普通児と一緒に教育を受けているが、十分受け入れられていない)、と答えた両親たちが発している警告を真摯に受け止めるのは大事なことでありましょう。

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