東から西まで1000キロあり、北から南まで2000キロメートルの間に7100の島が散らばっている国で、ある種の国家プログラムを作成して管理しようとすることを想像していただきたい。7000万人の人々と100以上の人種集団を加えてみれば、そのような仕事をどうやって実行するかを考えることはほとんど不可能にちかい。これらの障害にもかかわらず、フィリピン教育省は、人が住んでいる島の最も遠い所まで手を伸ばし、実質的にあらゆるコミュニティにおいて学校プログラムを立ち上げてきた。結果は、全ての学童期の就学率が96パーセントになったことである。このことはフィリピンが誇り得る成果であると評価したい。
しかし、未だに充分な教育を受けていない重要な子供たちのグループがある。40,000人の視力障害をもった子供たちがフィリピンの島々に散らばっている。1991年においては、これらの子供たちのうち300人だけが学校に登録されており、その就学率は1パーセント未満であった。盲児たちの就学数を増やすために新しい戦略が必要だったと認めて、教育省は、クリストッフェル・ブリンデンミッション(Christoffel Blindenmission:国際的NGO)と、盲人資源財団( Resources for the Blind:国内NGO)と、フィリピン・ノーマル大学(the Philippine Normal University:教員養成大学)の代表者と会合を開き、これらの子供たちの教育的なニーズに応ずるために一緒にできる仕事は何かについて議論した。
我々は、これらの子供たちを就学させるためのほとんどの施設がすでに利用可能であると結論づけた。既存の資源を使用することにすれば、ごくわずかな経費か追加出費だけで、これらの子供たちは教育を受けることができるのである。
これらの子供たちのために、個別の学校組織を構築する必要はない。400,000人以上の公立学校教師がすでにフィリピンにいる。そして、40,000以上の公立学校で教育を行っている。毎朝、1600万人の目が見える子供たちが近くの公立学校に通い、そこでは無料の教育が可能となっている。これらの晴眼児たちは、読み書きすることを学んでいる。彼らは、歴史、言語、地理学、公民科、芸術、数学や音楽を学んでいる。彼らは,スポーツや学習上の競争、社会的な活動,あるいは地域の行事に参加している。これらは全てすでに定着しており、非常によく機能していた、しかし、ほとんどの場合、盲の子供たちは除外されていた。
解決策は単純にみえた。我々のやることは、盲児たちが既存の学校組織にアクセスする機会を与えるだけである。彼らに、目が見える仲間が使っているのと、同じ建物、同じ教師、同じ学校机、同じカリキュラムを使わせてやればよいのである。毎朝学校に行くときに、彼らの兄弟や姉妹を加えてくれればいい。彼らが教育を受けるために必要なほとんどすべては、すでに存在し、よく機能していた。2、3のちょっとした修正で、盲児は、簡単に彼らの晴眼の同級生に加わることができるだろう。
残念なことに、それはそれほど単純ではなかった。地元の学校が盲目の子供たちを普通の教室に受け入れるかどうかということになったとき、彼らの答えは予想できた。彼らは、ぞっとして、ほとんど盲目の生徒に彼らのクラスに加わらせるという、そのアイデアを見てひるんだ。一部の教師は、盲目の子供が彼らのクラスに入ってきたら、教えることをやめると脅迫しさえした。学校管理者と教師は、たいてい盲の子供たちを普通の教室に入れるという考えにまず抵抗した。
そこで、我々の最初で一番大切な仕事は、盲目の子供たちを彼らの学校に受け入れるように、教師と管理者を説得して、心構えをさせることであった。それが達成できるならば、我々は国中の何千もの盲目の子供たちのために学校を開放することができる。
第2の戦略は、普通の教室に盲目の子供たちを受け入れる方法について、教師に対して夏期トレーニング・コースを提供することであった。これらは、大学院レベルの公認コースで、3回以上の夏期コースで行ない、奨学金を出すことにした。最初の夏期コースの末までに、教師は盲目の子供たちを彼らの学校に受け入れることを始める。他の責任と随伴して、インクルージョンを成功するために、かれらは普通学級の教師のためにリソース・ティーチャーの役割を果たす。彼らは、盲児の擁護者となり、学校生活に参加することに対する反対者に打ち勝つ努力をすることになる。
第3の戦略は、読み書きに必要な設備と教材を、盲児に利用可能にするものであった。
この11年にわたる我々の経験は、これらの3つの戦略が可能になれば、盲児が迅速かつ容易に地元の学校に受け入れられることを示した。我々への唯一の直接経費は、トレーニング・コースに奨学金を提供することと、特別な器材と材料を準備することであった。我々は、これらのインクルーシブ・プログラムが、フィリピンにおける盲児たちのための最良の措置であるだけでなく、教育を受けるべき数千の子供たちの就学にとって唯一の望みであるということを認識している。
最初のコースは、20人の奨学生か教師が参加して、1992年に実行された。このコースが終わると、20人すべてのメンバーは、自分達の関係する学校に盲児をすぐに受け入れ始める。次の夏に、これらの教師は第2回目の夏期トレーニングのために再び召集され、その次の年には3度目の最後夏期トレーニングのために召集されることになる。毎年新しい教師集団が訓練を始めるために召集されるので、結果として毎年の夏に、3つの集団が同時に訓練を受けていることになる。
もちろん、我々は教師がトレーニングに必要な最低限の能力すらほとんど持ち合わせていないことが分かった。しかし、我々の前提は、盲児が家で一人だけで座って過ごすよりも、訓練を始めたばかりの教師であっても、その子どもにとっては学校にいることの方がベターであるということだった。我々は必要な期間にわたって教師に付加的なトレーニングを提供し続けることとしたが、我々は子供たちが学校に行くのを待ち切れないでいるのを感じた。
夏期トレーニング・コースは1992年以来続けられ、フィリピンの76の地方から300人以上の教師がトレーニングに参加してきた。これらの教師は、順次およそ1500人の盲目の子供たちを普通校での教育プログラムに参加させてきた。現在、およそ100人の新しい子供たちが、毎年このプログラムの結果として受け入れられている。
我々は、これらの訓練計画が、フィリピンにおける盲児たちの就学を増やす努力の重要な部分であると考えている。ここ2年間で、似たようなモデルが2つの地方大学で始められている。セブ島の中部フィリピン市にある大学は、明暗基金(FoundationDark and Light)の助力を仰いでいるし、ミンダナオ島の大学は、ハイデシェイマー・盲人基金財団からの援助を得て行なっている。これらの地域のコースからの参加者は、現在彼らの地方で盲目の子供たちの就学を進めている。我々は、フィリピンの他の地域でもこのモデルを模倣していってくれることを望んでいる。
我々は、フィリピンにおいて、成功に貢献すると思われる12のトレーニングプログラムを以下に記述したい。
州立大学でコースを開発することは、2つの重要な利点を持つ。第1に、本コースは公認のコースであり、特殊教育における大学院レベルの資格を用意していることである。また、トレーニングを完了することが、昇進とか昇給というかたちで、教師に特別な利益をもたらすことができること。第2に、政府機関でスタートしたコースは、始めるのが難しく、簡単にはやめられないものだというのが感想である。
歴史的に、特殊教育の分野では、自分の経費でトレーニングに参加することを教師に説得するような意図がなかった。奨学金(授業料、旅費と給与を含む)を提供することによって、特殊教育に興味のなかった教師でもトレーニングを受ける気になるだろう。それは特殊教育プログラムをスタートする際に必要な一時的出費であるが、全体的には、教師は教育省から給与を受けている。
教師がトレーニングを受け入れる際に必要なことは、学校管理者からの同意書である。同意書は、盲児のためのプログラムを立ち上げるために、当該の教師が、少なくとも一時的に、管理者の監督から離れるというものである。これは特にフィリピンでは重要である。フィリピンでは教師と教室が慢性的に不足している。この合意がない場合は、プログラムの生き残りのほとんど希望がない。
奨学金と引きかえに、トレーニングの間、教師は少なくとも3年間は視力障害をもった生徒を教えることに同意しなければならない。教師が視力障害を持った生徒を受け入れる努力をしない場合は、彼らは受け取ったトレーニング費用を返却しなければならない。
盲というのは比較的発生率の低い障害であるので、我々は人口が集中している地域の学校を対象にしようとした。通常は、あるプログラムを始めるのに十分な盲児たちが人口密集地にいる。この理由のために、我々は遠隔地で小さな村からはトレーニング教師を選ばないようにしているのである。その地域にはせいぜい1人くらいしか盲児がいないからである。そのような場合、盲児の家族が別の地域に引っ越してしまうと、教師は彼女のトレーニングを続けることができない。
奨学金を得るための標準的な条件以外に、我々は教師がトレーニングに来る前に、少なくとも地域にいる盲児を3年間は教えることを要求している。中学校レベルの教師が奨学金を申し込んだ場合には、すでに地域社会には盲児のための小学校レベルの教育プログラムができてることが条件になっており、このような条件があれば、それを中学校レベルのプログラムに応用することができる。
コースは夏休み中に行なわれるが、それは教師が参加しやすいことと、より集中的なトレーニング・スケジュールが組めるからである。
コースの最初の年は、指導技術と平行して、点字の読み書き、そろばん、歩行(O&M)など、教師がすぐに必要としている基礎的なスキルに焦点を当てている。我々は、盲児のためのプログラムを始めるに際して、必要な基礎的なスキルと自信を教師に与えようと考えている。第2と第3学年の間に、理論と特殊教育原理に多くの時間を割り当てることができる。
教師が教えている学校を、地方及び国家レベルの特殊教育の専門家が訪問することは、盲児のためのプログラムを始める上で大いに助けとなる。教師は、自分のプログラムに障害を生じた時に解決の助力を仰ぐ人がいることや、彼女のプログラムが成功するよう期待している人がいることを知っておく必要がある。
通常、教師は2つの条件の1つを満たさない場合、プログラムを始めることができない。最初は、盲児を見つけて、就学させるための教師側のイニシアティブをとれない場合である。このようなときは、我々はプログラムを立ち上げるために教師に協力する。必要であるならば、我々はプログラムを始めさせるために、管理的圧力を発揮しようとするかもしれない。2年か3年の努力の後、我々の損失を最小限にするため、新しい教師をトレーニングに入れようということになる。教師がプログラムを始めることができないという第2の理由は、管理者の支持が得られなかったり、プログラムに対する熱意の不足による場合である。近年、我々は、学校管理者のための特殊教育に関する3日間のオリエンテーションが、プログラムに対する彼らの支援を得るということを発見した。
最初の夏期トレーニング後、教師が盲児のためにプログラムを開始できたときには、彼女は第2、第3の夏期トレーニングに招聘される。3年の夏期トレーニングの後、良い成績を残した教師は、特殊教育の修士号を取得するための奨学金を与えられる。修士号を持っていると、昇進や昇給のときに役立つことになる。我々は、教師が特殊教育の経験が将来性のない履歴ではないということを知っていることは重要であるのを感じている。
視覚障害教育を実現するために、その教師が、国内のひいては国際的な努力を担っているのだということを理解することは重要なことである。これは、ICEVIの重要な役割である。国家レベルとして、2年ごとに、なるべく多くの教師に優秀教師賞を贈ることにしている。それに加えて、我々は、視覚障害者のための教育者会議を主催し、国内外の視覚障害教育の専門家を招聘して講演をしてもらっている。これらは、教師のモラルを維持し、プログラムに専念していくために必要なプライドと専門意識を育てる一助となる。
どのように、盲目の子供たちは、このように訓練を受けた教師の下でやっていくか?アカデミックな見解から、平均して、宿泊設備がある盲学校では点字の読み書きの指導は優れていることを我々は理解している。しかし、フィリピンでは、40,000人が収容できる盲児のための宿泊設備がある学校を用意するのは、現実的なオプションでない。しかしそれらがオプションとして残ったとしても、インクルージョンの方がよいといえる遺留が存在する。我々は、これらは寄宿制盲学校の理論的な利点を凌駕すると考えている。
最初に、子供は家族とともに家庭で生活し、学校に通うものである。特により年少児のためには、その子の家庭が正常な発達にとって重要であると考えている。子供が安全と家族の愛情を確保しているならば、点字読みが少しぐらい遅くても大丈夫である。
第2に、もともと、インクルーシブ・プログラムというのは、まさにその特性において、成人と同じように目の見える世界にうまく統合されるために必要なスキルを指導するという観点から、優れたものである。宿泊設備がある盲学校では、子供が必要とするすべては、全部用意されている。インクルージョン・プログラムでは、子供はもう少し彼ら自身のニーズに対して責任を持つことを要求される。このスキルは、彼らが成人になっても役に立つ。
たとえ盲目の子供が学習面で優れていないとしても、我々は、ほとんど例外なく、その子が自宅でひとりだけでいるより、仲間と学校にいる方がよいと考えている。最小限の訓練を受けた教師に教えられたとしても、その子が自宅で隔離されて学校にも行かずに一人ぼっちでいるよりも、学校に通うことによって正常な発達を遂げるよりよいチャンスがあると考えている。
しかし、我々の経験は、盲児を統合された生徒として学校に受け入れられ、学習が可能になり、進歩も期待でき、時には優秀な結果を遂げることがわかれば、ほとんどの教師にとって、そのことは昇任や卒業より大切なものだということを示してきた。
プログラムの主要な利点の1つは、この方法で訓練された多くの教師がフルタイムの特殊教育の教師になっていったということである。そして、多くの場合、彼らは自分の学校で障害児のための特殊教育センターの設立に尽力している。逆に言えば、プログラムに対する主な脅威は、海外に出て行ってしまうこれらの教師の補充をしなければいけないことだった。今年、アメリカで特殊教育の教師を配属している人材派遣機関に優れた4人の優れた教師を引き抜かれてしまった。フィリピン政府の提示する教師の給料の20から30倍のサラリーを提示されるわけだから、これらの教師を引きとめることは至難の業である。これは、我々が成し得た成果を維持するためにすぐに取り掛からなければならない課題のひとつである。
もう一つの副作用は、訓練計画が進化していくと、我々が教えた教師が管理的な地位に昇進していったことである。しかし、我々はこれを脅威としては考えてこなかった。実際、我々は全ての学校管理者が、特殊教育のバックグランドを持つことを願っている。たとえ我々が新しい教師を訓練しなければならないとしても、特殊教育における知識や経験を持つこれらの管理者と一緒に多くの仕事をすることができるのである。
我々の最終的なゴールは、特殊教育におけるコースを開発して提供するために、フィリピン中の大学を支援することである。そして、教師を自分の経費で就学させることである。その時、私は我々の仕事が終わると考えている。
(訳:黒川哲宇)